日本の行事・記念日の歴史や過ごし方をまとめました!

忍者はいつ頃生まれたのか?

忍者とは本来は、「忍び」と呼ばれる人たちのことです。
その発生に関しては詳しくわかっていませんが、南北朝時代にの支配者であった寺院や貴族が領地として所有する“荘園制度”に反発する、「悪党」と呼ばれる人たちが忍びのルーツだと考えられています。

忍者は南北朝時代に生まれ、戦国時代になると各地の武将に召し抱えられるようになります。
そして敵国への諜報活動や破壊工作などに携わっていたとされています。

傭兵として諸国大名に雇われた忍び

忍者と言えば伊賀忍者、甲賀忍者が有名ですが、この地はもともと悪党が盛んに活躍していた地であり、京の都のちかくでありながら山々に囲まれた自然の要塞として大名の支配から逃れていた地でもありました。
このためその地の大名に雇われるのではなく、周辺の国の大名から傭兵として雇われることが多かったようです。

伊賀と甲賀の地は、織田信長によって攻め込まれ大きな打撃を受けます。
しかしその後、本能寺の変が起こり、徳川家康が堺から自領の岡崎へと逃れるときに伊賀と甲賀の忍びが警護を行ったり、多くの戦さで手柄を立てたことから、伊賀・甲賀の忍びは徳川家に取り立てられるようになりました。

忍者は敵地に潜入して情報を収集したり、破壊工作や攪乱工作などさまざまな活躍をしました。
隠密行動を行い、無事に雇い主の下に帰参して情報を伝えるために、忍び独特の特殊な技術が発達したと考えられています。

延宝4年(1676)、忍びの技術をまとめた忍術書「万川集海」が編纂され、当時の忍びの技術を知ることかできます。
この書には忍びが使う道具や、交際術、記憶術、伝達術などの諜報活動などの技術、さらには気象学、医学、火薬についてなどさまざまな知識が記載されています。
このことから、忍びには任務を達成し、生き残るために幅広い知識が必要であったこと、優れたサバイバル能力が求められていたことがわかります。

立川文庫から火が付いた忍者ブーム

忍者が人々に知られるようになったのは、小説や芝居、講談などの娯楽に取り上げられるようになったからです。
江戸時代の初期から忍者はこれらの娯楽に登場します。

そして一世を風靡したのが、大正時代に『猿飛佐助』など、忍者が活躍する書物として刊行された「立川文庫」です。
立川文庫は、講談をそのまま筆記したもので、誰でも読みやすい上に、わくわくする内容だったため大人気となりました。
その後、忍者は時代小説や漫画、映画、テレビドラマ、などにも多く登場するようになります。

海外でも映画や子ども向けアニメ、ゲームなどによって、忍者は大ブームとなりました。
独自の技術を持ち、誰にも知られずに任務を遂行する忍者に対して、そのストイックな精神と卓越したスキルに神秘性に魅力を感るのではないでしようか。