念仏踊り
宗教がルーツの民俗芸能「念仏踊り」
念仏踊りとは、その名の通り念仏をとなえながら鉦や太鼓などを打ち鳴らし踊る、民俗芸能です。
もともとはお盆などに行われていた宗教行事として始まったものですが、やがて人々に広まるにつれて芸能にも取り入れられるようになりました。
歌舞伎のルーツといわれる「出雲の阿国の踊り」も、念仏踊りだったのではないかと考えられています。
ルーツは菅原道真公!?
念仏踊りには、念仏を唱える人と踊る人が別れているもの、本人が念仏を唱えながら踊るものと二つの形式があります。
本人が念仏を唱えながら踊る形式のものは「踊念仏」とも呼ばれています。
念仏の唱えてと踊り手が別れている念仏踊りは、菅原道真がルーツといわれています。
888年に朝廷から讃岐に派遣された道真公が、日照りに悩む人々のために「雨乞いの踊り」を行い、これを感謝した村人たちが翌年からも踊り続けたのが始まりと考えられているのです。
その後、1207年に讃岐に流刑となった法然上人がこの踊りをみて、念仏を唱えながら踊るように指導し「念仏踊り」へと発展したとのことです。
現在でも香川県の綾川町滝宮にこの踊りが残っており、毎年8月25日に行われる「滝宮の念仏踊」が日本の「念仏踊り」の元祖として、国の重要無形民俗文化財となっています。
また、本人が念仏を唱えながら踊る「念仏踊り」を始めたのは、平安時代の高僧・空也上人であると伝えられています。
その後、鎌倉時代に一遍上人が人々に広めていきました。
鳴り物による伴奏、念仏、飛び跳ねながら踊るというダイナミックな行動が人々の気持ちを鼓舞し、宗教行事から端を発したものの、娯楽性が濃くなってさまざまな芸能に発展していったとも考えられています。
長野県の「和合の念仏踊り」も重要無形民俗文化財
念仏踊りのルーツといわれている「滝宮の念仏踊」のほかにも、国の重要無形民俗文化財となっているのが長野県下伊那郡の和合の地に伝わる「和合の念仏踊り」です。
人々が行列を作って念仏や和讃とともに踊る、念仏行列と盆踊りが一体となった芸能で、江戸時代に宮下金吾という人が江戸から念仏踊りを伝えたとされています。
毎年8月13日から16日にかけて行われ、地元の熊野神社や開祖である宮下家の庭へと行列を練り、踊りを披露します。
「庭入り」「念仏」「和讃」から構成されており、地元の林松寺、熊野社、開祖の宮下家へと続く道を練り歩き、それぞれの境内や庭を舞台に踊りや和讃が披露されます。
その踊りは鉦や太鼓、ヒッチキと呼ばれる棒などによる伴奏と共に激しく踊るというもので、山深い和合の地に人々の念仏や和讃の声が響くエネルギーに満ちあふれ、見る人の心をわしづかみにします。