弓道

相手と対面しない独特の武術競技

弓道は現在も愛好家の多い武術系スポーツの一つです。
同じく「道」が付くものであっても、剣道や柔道、空手道のように目の前に対面する相手がいて勝負をするという方法ではなく、遠くに離れた的を射るという一種独特な方法で競技が行われるということが特長になっています。

よく知らない人からすると競技者はほとんど動きがないし、ただ弓を使って矢を射っているだけに見えるので楽なスポーツという印象がありますが、実際には正しく弓を使うことができるようになるまでには体の鍛錬が必要であり正確に的を狙えるようになるまでには長い時間がかかります。

弓道で難しいのはまず弓を構える姿勢を作ることで、背筋をピンと伸ばして胸郭を広げ、左右のバランスを維持できるようにしなければいけません。

もちろん弓を引くための筋力も必要で、的に向かって構える姿勢を維持する力と動きを止め狙う集中力とがなければ正しく射抜くことはできません。

よく似た競技に西洋のアーチェリーがありますが、日本の弓道には矢の行き先を定めるための照準器がついておらず的までの軌道はあくまでも自分の体感が頼りになります。

周囲の環境や自分の中の雑念によって気持ちが乱されているとまっすぐに矢を飛ばせることができないため、思うように矢が当たらないということはそれだけ心身両方の鍛錬が足りないということを示します。

弓を引くまでの動作のことろ「射法八節」といい、ます初心者はこれを覚えて自然にできるようになることを目標とします。

日本史に残る有名な弓の名手

弓矢は日本刀に次いで近世までの戦の主な武器として使用された道具です。
戦国時代までの歴史の中には、伝説に残るような有名な弓の名手が登場することもよくあり、真偽の程はともかく人間業とは思えないような正確な射的を行ったと伝えられます。

日本史上最も有名な弓の名手と言えばやはり那須与一でしょう。
那須与一は源氏と平家の合戦で活躍をした人物で、特に「屋島の戦い」において平家が海上に立てた扇の的を見事に射抜いたという逸話で知られています。

これは源平合戦の最中に平家が源氏を挑発するつもりで船の上に扇の的を乗せたところ、揺れる海上の的を那須与一が見事に射たことにより運気が源氏に傾き、以降の合戦で勝利を収めたという歴史的転換になった出来事です。

またあまり有名ではないのですが、戦国時代に北畠氏に使えた大宮景連という人物もまた弓の名手として知られています。
大宮景連は信長の伊勢侵攻の際に先陣であった羽柴秀吉を狙ったとされ、秀吉に生涯唯一の戦傷を負わせた人物と言われています。

もしこのときに矢が秀吉の命を奪っていたら日本史は大きく違ったものになっていただろうというふうに伝えられ、これもまさに一矢により運命が変化した例です。