将棋
将棋の始まりは古代インドにあります
日本国内で初めて将棋が行われたのは奈良時代頃ではないかと言われています。
将棋はそれぞれのコマに役割を与えて動けるマス目を制限しているというところが特長で、西洋のチェスと並んで有名なボードゲームとして知られます。
将棋のもとになった遊びは紀元前の古代インドにまで遡ります。
古代インドで発明された「チャトランガ」という盤の上でコマを動かすという遊びで、8✕8の64のマス目を移動して相手の王をとることを目的とします。
チャトランガで使用されるコマは将棋よりも少なく5種類で、王・象・馬・車・兵という当時の文化を示すものとなっています。
ただしチャトランガは将棋と大きく異なり四人制の遊びで、サイコロを振って出た目で移動できる範囲が決まるという独特のルールをしていました。
のちに今の将棋に近いルールに改良をされてから日本に持ち込まれたようで、インドより東に伝えられたチャトランガが将棋に、西に伝えられたチャトランガがチェスに進化したと言われます。
大きく発展したのは平安時代以降
日本独自の「将棋」として進化をしたのは平安時代以降です。
平安時代には8✕8もしくは9✕9の盤面で行う「平安将棋」と、13✕13の「平安大将棋」という二種類がありました。
現在まで継続されている将棋のもとになったのは「平安将棋」の方で、「平安大将棋」は他のボードゲームである「天竺大将棋」や「摩訶大大将棋」なとといったものに進化します。
将棋独特の特長である持ち駒ルールが登場したのは11~15世紀くらいの間で、チェスと最も大きく異なる進化方法です。
本格的に発展することになったのは江戸時代に入ってからで、囲碁同様に徳川幕府からの庇護を受けて公式試合などが開催されることになります。
当時の囲碁や将棋は茶道などと同じように家元制が取られており、名人という非常に優れた指し手は江戸城内で試合をして俸禄を受け取ることができました。
現在は七大公式戦によって段位が決まります
江戸時代の終了とともに江戸幕府による「将棋所」という組織はなくなります。
代わって明治時代に入ってからは政府の庇護によるのではなく、将棋を行う組織が独自に編成され運営をしていくことになります。
囲碁将棋共通の家元とされていたのは本因坊・井上・安井・林という4家だったのですが、このうち3家は後継者をなくし1893年を最後に家元制度が完全に終了してしまいます。
復活をしたのは1921年になってからで、世襲による終世就位であった名人制を廃止し実力主義で段位を決定する方式に舵切りをしました。
1927年には東京と関西の2つの将棋連盟が合併して「日本将棋連盟」となり、1947年からは現在の体制に近い運営がされるようになっています。