縁起物の熊手が並ぶ「酉の市」
福や運を招く酉の市
酉の市とは、毎年11月の酉の日に、大鳥大社など鳥に関連する神社で行われるお祭りです。
境内に露店が建ち並び、熊手や招き猫などの縁起物が販売され、それを買って帰って一年の無事息災と商売繁盛、家内繁栄、金運向上などを祈る年中行事です。
関東を中心に行われるお祭りとしてしられています。
関西では“えべっさん”と呼ばれる「十日戎」がよく似たお祭りといえるでしょう。
1年の日にちそれぞれに、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支を当てはめる昔ながらの暦では、12日ごとに一つずつ干支が巡ってきます。
ひと月はおよそ30日ですから、巡り合わせによってはは酉の日が3回やって来る月もあります。
酉の市が行われる11月においても同様で、1回目の酉の日を「一の酉」、2回目を「二の酉」といいます。
そして3回目の「三の酉」まである年は、火事が多いので注意すべしと伝えられてきました。
2021年は一の酉が11月9日(火)、 二の酉が11月21日となっており、三の酉はありません。
江戸時代から庶民にしたしまれてきた酉の市
酉の市は、江戸時代から行われるようになりました。
酉の市で最も有名な東京・浅草にある鷲(おおとり)神社の由来によると、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天之岩戸にお隠れになったとき、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前で舞い、天之岩戸が開かれました。
このときに、ある神様が演奏されていた楽器に鷲がとまったので、「世界が明るくなるというおめでたい事柄を知らせる鳥」であると神々たちが大いに喜び、楽器を演奏していた神様を鷲大明神、天日鷲命と呼ぶようなったとのことです。
そして鷲大明神は開運、殖産、商賣繁昌にあらたかな神様として、浅草の地に祀られるようになりました。
その後に、日本武尊(ヤマトタケル)が東夷征討に向かう際にこの社に戦勝を祈願し、願いがかなって勝利したため、そのお礼として武具の「熊手」をお供えしたのが酉の月の、酉の日であったそうです。
これが酉の市の始まりだと伝承されています。
また酉の市として庶民に広まるきっかけとなったのは、江戸時代に東京都足立区にある大鷲(おおとり)神社の近くで、農民たちが行った収穫祭であるとも伝えられています。
収穫祭が行われた神社に境内では、熊手などの農具や収穫物、古着などが販売されていたそうです。
そして、その熊手におまけとて縁起物が付けられるようになり、それが現在の縁起熊手のルーツとされています。
運を招き福をかき込む熊手
酉の市になくてはならないのが熊手で、竹で出来た熊手にさまざまな縁起物が飾られています。
たとえば長寿を表す鶴、福を招く七福神、お金が出てくる打ち出の小槌など、にぎやかな縁起物で彩られた熊手は、運を“かっ込み”、福を“はき込む”ラッキーアイテムとして人々に信仰されてきました。
最初は小さな熊手を購入し、一年ごとに少しずつ大きな熊手へと買い換えていくことを励みにするのが良いとされており、末広がりの繁栄を願う気持ちが込められた祭りともいえるでしょう。