囲碁

紀元前からあったと言われる囲碁

囲碁の発祥は古代文明の発祥地である黄河文明の時代にまで遡るとされています。
「囲碁四千年」という言葉もあるほどで、中国の歴史発生とほぼ同時期より囲碁が存在していたという説もあります。

伝説によると紀元前2350年頃に堯帝(ぎょうてい)という皇帝が囲碁を発明したと伝えられます。
これは堯帝の息子である丹朱(たんしゅ)があまり賢い人でなかったということから、聡明な皇帝に育てるために作ったとのことです。

ただし堯帝という皇帝自体が伝説上の人物であることからこれをもって囲碁の発祥とするのは少々大げさな話と言えます。
きちんと記録に囲碁のことが登場するのは殷の時代に入ってからで、紀元前1500~1000年頃の記録をしたとされる「甲骨文(こうこつもん)」の中に囲碁のもととなった文字が登場しています。

この頃の碁盤や碁石は娯楽としてではなく占いのために用いられていたようで、白石を「陽」、黒石を「陰」とし、碁盤の四隅を四季に見立てて占いそれに従って政治を行ったといいます。

その後中国の歴史において囲碁は頻繁に登場しており、日本でも人気の高い三国志演義においても登場人物が囲碁を打つというシーンがあります。

日本に伝わった時期についても諸説があり、はっきりしたルートはわかっていません。
ですが636年の隋書・倭国伝には日本人の間で囲碁が好まれているといったことが記載されており、701年の大宝律令では囲碁についての記載があります。

奈良県の東大寺には日本最古の碁盤が保存されており、碁盤3種と碁石4種があります。

徒然草にも記載がある囲碁

囲碁は鎌倉~室町時代には既に全国的に広まっていったようで、宮廷貴族や武士たちばかりでなく農民や商人の間でも一般的に行われていたという記録があります。

吉田兼好の徒然草にも囲碁を打つ人についての記載があり、囲碁が知識人だけでなく庶民の間にも浸透しており技量も拮抗していたということが示されています。

江戸時代に囲碁界を支配していたのは本因坊・井上・安井・林という4つの家元です。
当時は世襲制によって引き継がれており、中でも本因坊は京都の寂光寺の塔頭本因坊に住んでいたことから付けられた名前で4家の中で最も由緒正しく格式が高い家とされました。

名人という称号を作ったのは織田信長で、のちに徳川幕府が総仕切り役となって「碁所」を置き4家から選出した者同士が競い合って名人を決めるという方法が取られていました。
1626年(寛永3年)からは家康によって「御城碁」という年に一回江戸城内で行われる公式大会が行われています。

世襲制がなくなり実力選手権制になったのは近代に入ってからで、現在では日本棋院と関西棋院の2つの組織によって段数が定められるようになっています。